大学受験。予期せぬ挫折、親子の葛藤、そして「文転」という大きな決断。

1年前、息子の浪人が決まったとき、私は「この選択は正しかったのだろうか」と何度も自分に問いかけました。不安と後悔、そして迷いの中で始まった1年間。
この記事は、そこから大学入学が決まるまでの出来事と、その間に感じた母としての正直な想いを綴った記録です。この経験が、どこかで立ち止まっている誰かの背中を、そっと押すものになれば嬉しいです。
高校3年生での決断 内部進学を蹴って他大学を受験

高校3年生のときに下した決断が、息子の人生の大きな分岐点になりました。この章では、内部進学を選ばずに大学受験に挑んだ日々と、浪人が決まるまでの高校生活を母の視点で振り返ります。
中高一貫校の強み|内部進学をしない決断
息子は、大学まで進学できる中高一貫校に通っていました。高校の成績が一定の基準を満たしていれば、そのまま大学へ進めます。私は、その安心な道を進むと思っていました。
しかし、高校3年生の夏。息子は私の想像とは全く違う「道」を示しました。
「内部進学をせず、他大学を受験する」
その意思を証明するためには、たった一枚の紙きれを学校に提出しなければなりません。
私も主人も反対しました。それでも、彼の意思は変わりませんでした。
「そこまで言うなら」と、私たちは条件を出しました。内部進学を蹴るのは構わない。ただし、浪人はさせない。その覚悟で学校を選んでほしい、と。
たった1枚の紙きれ。これが息子の人生を大きく変える転換期であったことは言うまでもありません。
息子は理系クラスに所属しており、理系の大学進学を目指していました。夏を過ぎた頃、成績が思うように伸びていないことには、薄々気づいていました。親として言いたいことは山ほどある。けれど、本人が決めた道。信じるしかない、見守るしかない。
時間はあっという間に流れ、共通テスト目前。息子が大きすぎる目標を立て過ぎていたあまり、私には全く兆しが見えませんでした。しかし、息子はもう何も聞き入れません。息子が言うがままに願書の提出。不安でしかなかった。
そして前期試験の結果は、見事な惨敗でした。
それでも私は言い続けました。浪人はさせない、夏の約束を思い出して欲しいと。でもこの状況下。さてどうする。
崖っぷち 覚悟を決めた理系からの「文転」後期日程に挑戦する2週間
大学に入ってからの明確な目標があるわけでもなく、「なんとなく数学が好きだから」という理由で続けてきた理系科目。私は息子に、一つの提案をしました。

英語を本気で勉強してみてはどうか
英語が得意だったわけではありません。むしろ、今さら進路を変えるなんて無謀だということも分かっていました。しかし、出願締め切りが迫る中、何かを変えなければ、この暗闇から抜け出せない気がしました。進む道を変えるという選択肢があってもいいのではないかと思ったのです。
息子は悩んだ結果、英語を勉強すると言いました。最後の最後での文転。うまくいくかどうかは分からない。
それでも、動くしかありませんでした。
今まで積み上げてきた理系科目への執着を捨てること。こだわりを捨てること。 「英語を勉強する」 そう答えた息子の決断は、私が想像していた以上に、大きな勇気を必要とするものだったのだと、今になって強く感じます。
その窮地を救ってくださったのが、中学生の頃からお世話になっていた塾の英語の先生です。高校3年生の夏、息子の決断で塾は辞めていましたが、頼れる人はもう先生しかいませんでした。本当に申し訳ない気持ちで現状を伝え、英語を見てほしいとお願いしました。後期試験しか残っていない受験生を引き受けることが、どれほど大変だったか。
それでも先生は、快く引き受けてくださいました。
決断の日から後期試験までは、2週間ほどしかありませんでした。その間、1日3〜4時間。先生の予定が空いている日は、すべて通わせてくださいました。一人で勉強をしていた息子にとって、先生と向き合うその時間は、勉強以上に「心の拠り所」になっていたようです。
これまでとは違う視点で、真剣に向き合ってくれる大人がいる。それだけで、どれほど救われたことか分かりません。
しかし、現実は甘くありません。 たった2週間の猛チャージ。精一杯向き合いましたが、結果は届きませんでした。
息子の浪人が決まりました。
大学受験失敗 浪人が決まった瞬間 揺れ動く心情
「絶対にさせない」と言い続けてきた浪人生活。いざその現実を前にしたとき、不思議と私の肩の荷がふっと軽くなるのを感じました。 「最後までやりきったんだ。仕方ない」 そう思えた私がいます。
当の息子はといえば、持ち前のポジティブさからか意外なほどケロっとしていました。「1年勉強するから」と。 周りと比べることなく、人は人、自分は自分、と割り切れる息子の性格に、一番救われたのは私の方だったと思います。

子育ては間違っていたのだろうか。あの夏の、一枚の紙切れが、今も胸に引っかかります。後悔がなかったと言えば、嘘になります。
不格好でも、遠回りでも、季節は巡り、春はやってきました。 明るく前を向く息子の顔を見て、私は覚悟を決めました。息子の選んだ道を、もう一年、支え抜こうと。
外では桜が咲いています。季節は春、そうだ新しい春が始まった。
浪人生の生活リズム 早朝バイトと英語の塾通い|公募推薦で勝ち取った合格

1年前には想像もしていなかった浪人生活が始まりました。さて、どうするか。計画性があるとは言えない息子。これからの1年をどう過ごすかのか。
この章では、浪人生活が始まり大学受験に合格するまでの道のりを綴っています。
早朝アルバイト・英語の塾通い|始まった息子の浪人生活
まずは生活の土台を整えることから考えました。そこで私が提案したのが、「早朝のアルバイト」です。
最初は嫌がっていた息子ですが、私は社会との繋がりを持つことの重要性を感じていました。受験生とはいえ、息子の性格上、一日中机に向かって集中し続けるのは難しい。放っておけばダラダラと時間を溶かしてしまいそうな息子の性格を考え、あえて生活リズムを強制的に整え価値ある時間を過ごして欲しいと思いました。
週3回、1日3時間の早朝バイト。 高校時代は目覚ましが鳴っても起きられなかった息子が、自分から起きてバイトへ向かう。誰かの役に立ち、対価を得る。良い循環が生まれていました。
息子の浪人生活
予備校には通わず、英語の個別塾に週2回、1回3時間のペースで通うだけ。あとは自学自習と早朝バイト。 これが息子の浪人生活です。
「本当にこれで間に合うのだろうか」 英語が得意ではなかった息子が、数ヶ月で戦えるレベルにまで到達できるのか、不安が胸をかすめる日もありました。しかし、昨年よりも穏やかで少し柔らいだ表情を見て「大丈夫、うまくいく」と祈り続けました。
あとは本人がやるだけ。英語の先生を信じて、素直に取り組み続けるだけです。
私は、無理をせず、確実に合格ラインを狙える学校に絞ってほしいと思っていました。けれど息子は、「どうせやるなら」と、再び高い目標を設定します。昨年と同じことを繰り返してはいけない。現実的な目標を立ててほしい。そう思いながらも、話し合いの末に出た答えは、「夏まで待ってほしい」というものでした。
公募推薦という選択肢|夏が過ぎるころに下した決断
季節は駆け足で過ぎていきます。 目標に掲げた英検準1級には、あと一歩届かない。

季節は夏。さて、どうする。
息子は共通テストも受けようとしていましたが、私は反対しました。これ以上教科数を増やすのは、無謀な挑戦だと思ったからです。昨年と同じことを繰り返してはいけない。
そこで私が提案したのが、公募推薦でした。浪人1年目なら、母校の推薦をいただいて挑戦できるチャンスがあります。なかなか行動に移さない息子を心配し、私自身も調べ、選択肢を提示し続けました。
やがて、息子の口から「公募推薦を受ける」という言葉が出たとき、歯車が大きく回り始めた気がしました。 そこからは準備の時間です。
高校の先生に連絡を取り、書類の準備が始まりました。先生方のサポートもあり、少しずつ形になっていきます。
今の目標はただ一つ。公募推薦で合格すること。
目標が明確になると、勉強の方針も定まり、集中力が増しました。
英語の塾の先生は、変わらず寄り添い続けてくださいました。学力だけでなく、メンタル面も支えてくださっていたのだと思います。もし先生がいなかったら、息子は途方に暮れていたかもしれません。
高校にも何度か足を運び、先生と話す時間も息子にとって良い影響があったようです。在学中には話せなかったこと、今の気持ち。それを言葉にすることで、先生の優しさを改めて感じていたようでした。

人とのつながり、良い出会いが人生を変えるきっかけになる。
そのことを、改めて実感しました。
大学願書提出、そして試験へ
目標が定まり、学部の選択そして願書を提出。願書には、昨年とは比べものにならないほどの想いが込められていました。
試験は11月。
10月前半でアルバイトを辞め、試験に全集中。塾も日数を増やしていただき、できることはすべてやる。あとは、試験日を待つだけです。
公募推薦は、2校に出願しました。
試験当日、そして結果
試験当日
いつもマイペースすぎる息子に、私が口うるさく言ったことは二つだけ。
忘れ物はないか。
電車の遅延も考えて、余裕を持った行動をすること。
1校目1日目:まあまあできた。手応えはあった。まあまあって何だ、と思う私。
1校目2日目:昨日のほうができた。今日の試験のほうが難しかった。大丈夫か、と思う私。
4日後
2校目1日目:できた。大丈夫。
2校とも、結果発表は同じ日でした。その日まで、落ち着かない日々が続きましたが、とりあえず普段通りの生活を心がけました。
私も朝から落ち着かず、仕事に向かいながら「結果が出たら連絡してね」と伝えました。本人は、昨年のつらい記憶があるから、サイトを開くのが怖いと言っていました。
結果は――
すべて「合格」
画面を見つめる息子の顔から、すうっと緊張が抜け、安堵の表情が広がる瞬間。 多くを語る子ではありませんが、本当に嬉しそうでした。
厳しい道を選んだのは自分自身。けれど、投げ出さずに耐え、最後まで歩ききった。 私の肩からも、ようやく重い荷物が下りた瞬間でした。
捨てる勇気|浪人生を抱えた母としての1年の想い

一年前、大学受験に惨敗した息子を前にして、私は何度も自分に問いかけました。

「私の育て方が間違っていたのではないか」「もっと親として導く力があれば、こんな思いをさせずに済んだのではないか」 込み上げる悔しさと情けなさで、涙が溢れた日を思い出します。
しかし、一つひとつ状況を整理し前を向こうとする息子の姿がありました。その姿を見ているうちに、私自身も今までとは違った視点で考えることができるようになった気がします。
この道が正解だったのかは分からない。けれど、この選択を「正解」にするしかない。
私ができることは何だろう。栄養のあるご飯を作り続け、家の中を明るく笑い声で満たすこと。もともと息子とは仲が良かったので、浪人生活が始まっても、家庭の雰囲気は以前とはとくに変わりはありませんでした。
私だったら、絶対に選ばなかった道。
母親でありながら、息子の選択を不思議に思うこともありました。
それでも、楽しみながら前に進んでいる息子を見ていると、
「こういう選択肢もあるのか」
と、息子から大切なことを教わっていると感じました。
私が息子から一番影響を受けた考え方・息子を尊敬したこと。それは「捨てる勇気」です。
高校では理系コースに進み、数学を中心に学んできた息子。自分が一番好きで、得意だと信じてきた教科を、あのとき手放しました。新しい道に進むために。自信でもあり、支えでもあったものを捨てる。その決断には、相当な勇気が必要だったはずです。
もし、私が同じ状況に置かれたら、同じ選択ができただろうか。息子は、私に一つの生き方を教えてくれました。
もちろん、息子は完璧ではありません。計画性は甘く、危なっかしくて、私が背中を押さなければ動けないことも多々あります。それでも、この結果は、間違いなく本人の努力によるものです。私は、心から拍手を送りたいと思いました。
息子は人に恵まれていたと思います。
崖っぷちの息子を見捨てず、精神的な支えとなってくださった英語の先生。 卒業してもなお、温かく迎え入れ、願書作成をサポートしてくださった母校の先生。 私の職場の同僚や、息子の背中を押し続けてくれた友人たち。
一人では、決して乗り越えられなかった1年です。人とのつながりの大切さを改めて実感しました。
人は、人に支えられて生きている。
だからこそ、うまくいく。
感謝し、自分も誰かを支える存在になる。
人と人。
温かい関係性を築いていくことの大切さ。
合格報告に行った際、高校の先生がかけてくださった言葉が忘れられません。

ちゃんと勉強したんやな、頑張ったな
自分をしっかり見てくれる大人がいる。その環境は、とても尊いものです。「ちゃんと勉強した」
その一言は、息子にとって何より嬉しかったようです。
誰かに認めてもらえること。
それは、いくつになっても、心を支えてくれるのだと思います。
そして、塾の先生からいただいた言葉。

最近成長が感じられて本当に嬉しいです。もう直に手を離れて巣立っていくでしょうけど、できるところまでサポートさせていただきます
なんて優しい言葉。崖っぷちだった息子を、最後まで見守り続けてくださいました。心から支えてくれる人がいることの心強さ。
孤独な戦いになりがちな浪人生活の中で、これほどまでに誰かに想われ、支えられていた。人とのつながりこそが、人生を豊かにし、困難を乗り越える力になる。
長い1年を経て、「合格」という二文字を見た息子。春からの大学生活を、心から楽しみにしています。
大学に行って、やりたいことも見つかったようです。1年前には、想像もしていなかった道。この苦悩があったからこそ、見えた景色です。ようやく、スタートラインに立ちました。ここからまた、やるしかない。とにかく、やり続けるだけ。今からです。
この1年間、息子を支えてくださった方々に心から感謝いたします。一人では決して乗り越えることができなかった苦難です。息子を通して私自身学ぶことが多かった1年。胸を張って息子を送り出します。

最後まで読んでいただきありがとうございます。私自身、想像もしていなかったこの1年を、記録として文章にしました。そっと誰かの背中を押せる記事になると嬉しいです。
ー誰かの笑顔のためにー
